ウルトラたマン通信 第45号 (2005年9月1日発行)八月十五夜 新垣区の棒巻き旧暦八月十五日・十五夜には市内各地で行事がありますが、今回は新垣区の棒巻きを紹介しましょう。 棒術と棒巻きの由来新垣に棒術が伝わったのは、西暦一三〇〇年頃(調査中)。当時は、作物泥棒が横行していたため、治安維持のために派遣された駐在武士(謝名上方)が、自分の手下として十人頭に棒を使った護身や相手押伏を教えたのが始まりといわれている。十人頭が交代する度に棒術者が増え続けた。「棒巻き」はしばらく休止されていたが、保存会が結成されたことで昭和四十七年(一九七二年)に復活した。 棒巻きについては、明治の初め小禄具志の演舞が素晴らしいと聞いて見物し、独自に習得したという言い伝えがある(現在小禄具志では行われていない)。 棒旗と踊旗 使用する旗頭には、踊旗(ウドュイバタ)と棒旗がある。棒旗には「起気力」と書いてあり、宇宙と天と地・子孫繁栄を表す飾りが施され、健康と長寿を祈願している。踊旗には「勧耕作」の文字があり、産業と文化の発展を祈願している。旗頭を持って村の元家と「神アサギ」「殿(トン)」「ヌンドュンチ」「謝名上方の墓」の御願が終わると、棒術の奉納が行われる。そこでは、二人で行う「タンカー棒」が奉納されるが、そのときには互いに棒をぶつけ合い音を大きく鳴らすことが慣わしとされている。 御願のあと、「殿」に戻り御願が無事に終わったことを祝い、奉納を行う。そして、いよいよ午後7時、本番だ 棒術の技には、「タンカー棒」「ウーグスイ」「ハラガーギリ」「三人棒」「シャクグヮー」「ティンベー」「ダンナ棒(3種類)」がある。 演舞の最後に棒合鳴というものが行われるが、これは棒を振りお互いに乱れ、棒同士を当て、ガチャガチャと鳴らし合う。その後、棒術者は西と東に分かれて西は公民館の裏からジーチ(土地)の御願に向かい、東は公民館の表から謝名上方の墓へ向かう。怪我もなく無事に終了できたことの報告とお礼を伝える。 これからの展望
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