ウルトラたマン通信 第36号 (2004年12月1日発行)
糸満に残る門小文化
沖縄本島最南端に位置する糸満市は旧暦文化・漁業の街として有名な場所です。そんな漁業の街を象徴するように、糸満市西区・町端区の一部にある国道331号線を背に、海に向かって九本のスージーグヮーが伸びています。そのスージーグヮーを門小(ジョーグヮー)と言って各通りに名前が付いています(地図参照)。各通りの名前の由来は、ほとんどの門小が元々あった家の屋号が通り名になっています。しかし他の通りとは違い、町門は海側の通りに市場(町)があったためそれが由来になっています。漁業をされている方だけではなく、昔お葬式の後は海に手や足を洗いに行ったそうで、大勢の方が門小を利用していました。各通りには昔漁業を営んでいた方が住んでいましたが、埋め立てが始まってからは海人だけではなくなりました。
今でも続く門小の御願
上原健永さん
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今回は、いくつもある門小の中で長嶺門(ナガンニンジョー)の始まりの家でもある、長嶺染屋の上原健永さんに長嶺門の御願についてお話をお伺いしました。
長嶺染屋は、代々漁業に従事していましたが、四代目の上原亀さん(1804〜1866)は、弟三名と一緒にサカーマ等の網元として手広く漁を営んでいました。その当時に近所の当銘(屋号)のお年寄りが、長い間、長嶺染屋で網の繕いを手伝いながら同居していました。ある日のこと、当銘の先祖の方から『長嶺よー、貴方達は海からどー、リミ(収入)も入るのだから、海に対し御立願(ウタティガン)とシリガウーをやるべきではないか』と言われ、長嶺門の御願が始まりました。御立願(旧二月頃)は、一年の始まりに航海安全・豊漁祈願を行ないます。シリガウー(旧一二月頃)は、一年の海神に対してお礼を報告します。この御願は、門中に関係なく長嶺門を利用する方々、海人が参加します。参加戸数は、上ン手、南ン手、中ン手(上之平区の方々)・下ン手(長嶺門の方々)総数一五八戸です。現在では海人が減っていますが、下ン手と長嶺門を利用する漁師で御願が行われています。供物などと一緒に、白銀堂・殿内屋・野呂殿内などの拝所をお参りしています。長嶺門が御願を始めてから、次々に糸満一帯の門御願が行われるようになりました。現在も、各門小で御願が行われています。長嶺門は、現在も長嶺染屋で御願は行われています。
上原さん宅に、門小についての資料がたくさん残っていたため信憑性のある情報を頂くことができました。ご協力、ありがとうございました。海人の歴史でもある門小文化を後世まで語り継いで行きたいものですね。みなさん国道331号線を通るときには、少し覗いてみてください。糸満の誇り門小文化を!
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